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3つの疑問と1つの確信(改訂版) [取るに足らない独り言]

オレとしてはこれまで身内に甘いクラブ体質(主にフロント)に対して、このままではいずれ取り返しのつかないことになるぞ!と何度もその危険性を指摘し、警鐘を鳴らし続けてきただけに、今回の一連の騒動は本当にやり切れない思いだが、クラブがようやく『同情の余地なし』と自覚し、誠意の感じられる「謝罪」を前代未聞の「行動」で示したことについては先ずは一定の評価を与えたいと思う(それでも甘い!と糾弾されるのを覚悟の上で)。そして、最も肝心な「これからどうするのか?」、「どのように変わっていくのか?」を注意深く、かつ厳しい目で見守り(見張り)たい。何があっても応援し続けるとか、ひたすら信じる‘だけ’というのは聞こえは良くても時にクラブを駄目にする「害」であり、本質的な「サポート」とは(選手への)愛と(組織体制への)鞭であるというのが前々から一貫して主張してきた持論であるが、このような形で証明される日が来ようとは実に皮肉なものだ・・・。
(ブーイングするのしないのとかそんな低次元の話ではない)

今は何を言っても「火に油」。よって、擁護や反論と受け取られるようなことはこれ以上書く気はない。ただ今回の件でどうしても気になったというか、違和感を覚えたというか、不可解に思った3点についてだけは触れておきたい。


1.前にも同じことをやってるのに何故そこで以降への予防措置を取らなかったのか?

ケンゴにしろ永嗣にしろ、2年前も首にかけられた銀メダルをすぐに外している(なんなら所有している映像をJや協会の幹部に送ってやってもいい)。その時は問題どころか大した話題にもならなかったのに、どうして今回はこんな大事に発展したのか?極一部のスポーツ紙では、当時も個別に注意したとの報道もあったが、クソが付くほど真面目なあの2人の性格から考えると、どうにも信憑性に欠ける(2年前に厳しく戒められた過ちを繰り返すような人間ではないし、そもそもそういう周囲からの信頼を得難い選手であるならゲームキャプテンやJ選手会の副会長などになれはしない)。確かに今回のほうがより酷い態度だったとは言えるかもしれない(さすがに2年前は「ガム」や来賓と握手せずに素通りなんてのはなかったはず)。それでも前回も清々しいとはお世辞にも言えない表彰式だったという意味、その一点においては大差なく(醜いよりも痛々しいという表現のほうがしっくりくる)、どうして今回だけが大騒動に!?というのが率直にして純粋な感想なのだ。2年前との一番大きな違いを挙げるとすればおそらくは注目度だろう(平たく言えば客の数)。しかしそれだけでここまでその後の対応(事実上の処分)が違うというのは如何せん理解し難い。

2.苦言を呈したJリーグチェアマン、その第一声が『賞金を返してほしい』

Jリーグの最高責任者が怒るのは理解できる。当然と言い換えても良い。しかし、そこで真っ先に出る言葉が『金返せ』というのはその立場の人間としていかがなものか?普通ならスポンサー様や皇族を始めとした来賓の方々に「土下座して謝れ」とか、「この大会にはもう出場させない」という発想が先行すべきではないのか?いくら感情的になっていたとはいえ、いや感情的になっていたからこそ剥き身の本音が窺える『金返せ』はあまりに愚劣で下品な発言、なんともお粗末な俗物であると言わざるを得ない。「表向きはファンだのスポーツ界だのと奇麗事を(後付けで)並べてはいるが結局はお金が全てか!」と思われても仕方ないだろう。品性に欠け、人間性を疑われるような者がJリーグのトップに位置していて果たして大丈夫なのだろうか?Jリーグの発展は見込めるのだろうか?これを契機に良い方向へ進路を変えるのだろうか?甚だ疑問だ。

3.映像すら見ていないのに怒り狂って公けに批判する日本サッカー界のドン

これについてはこちらのツッコミ自体がバカらしく思えてくる。自分の目で確かめてもいないのに何が分かるのか?明確な事実を知りもしないのにどうやって判断できるのか?仮に、欧州視察に同行していた協会の側近から「試合に負けた川崎フロンターレの表彰式での姿は大層立派だったそうですよ」と真逆の情報を流されていたらそれを耳にしただけで正反対の発言、すなわち「スポーツ界の誇り」、「サッカー界の宝」等を残した可能性がある(というよりフェアを自認するならそうでなければおかしい)。このような人物が日本サッカー協会の会長を務めている限り、サッカー日本代表に期待感を抱けなくなるのは自明の理だ。ましてや一般的には代表の試合しか見ない人のほうが圧倒的に多いのだから、事の重大さが国内リーグのカップ戦の表彰式(試合後)における準優勝チームの“悪態”よりはるかに深刻なのは明白と言える。少なくとも当のご本人以外の目には・・・。そんなことにも気付かない、気付けない「裸の王様」が、一体、『何を思い上がっているのか』分からない。


全く“大人の事情”を無視した至極個人的な意見としては、川崎フロンターレは次回のヤマザキナビスコカップへの参戦を辞退すべきだと考えている(場合によってはそれ以降も)。「聞いただけの人」に言われるまでもなく『お金を返せば済む問題ではない』のだから、態度や姿勢で示す(示し続ける)しかない。この際、Jリーグからの脱退もありだと思う。アマチュアという原点に戻り、JFLからやり直すのも1つの手だ。プロで続けたい選手に対しては自由を与えてやれば良い(‘変に’熱い近年の等々力より観客3000人くらいだった頃の温かい雰囲気を好むオレからすればむしろ大歓迎)。

更に個人的な意見を続けさせてもらえば、自身の体験も込めて決勝での準優勝の表彰ほど残酷なものはないと思っている。何故なら1位を逃した2位は最も悔しい「敗者」だからだ(3位から勝ち取った2位とは完全な別物)。それまでに敗けた者、決勝まで辿り着けなかった者に対して失礼千万という意見も十分に理解できる。が、あれは理屈ではないのだ。その時点でそこまで考えられるほど心にゆとりは持てない(中にはとてつもない人格者もいるかもしれないが)。おそらくあのやるせなさ、まるで晒し者にされているかのような惨めさは残念ながら、実体験のある者にしか想像できないだろう。どうしても『グッドルーザー』に拘るのなら、主催者にはせめて勝者と敗者の物理的な上下差を撤廃し、ワールドカップやチャンピオンズリーグのように場をピッチ上に設ける等、少し間を置いてから同じ目線、同じ高さで両者の表彰を行うくらいの配慮は求めたい。頂点を目指して全力を尽くして戦った全ての選手、そしてそれを支えるあらゆる人々のために。

むしろ最大の屈辱を拭い去れずにいる敗者が誇らしげにカップや金メダルを見せびらかしながら狂喜乱舞する勝者の姿を表彰台の下から見上げ‘させ’られ、両目を真っ赤に腫らして礼儀正しく称えることのほうが人間として不自然、その心情を察すれば不気味な光景ではないだろうか。マナーとして一見、形式上は美しく映るかもしれないが、本心から自然発生する拍手などありえないのだから(それこそブラジル人選手等には理解できない「文化」なのでは?)。そのような良くも悪くも極めて日本人的な常識に囚われ過ぎた土壌(社会)から真の天才「ディエゴ・マラドーナ」は生まれない。日本人の常識を逸脱(超越)した世界トップクラスの才能が育つはずがない。それだけは断言できる。

<関連資料>
ナビスコカップ表彰式問題を考える(後藤健生コラム)
ナビスコカップ、川崎の悪態だけが問題なのか?(セルジオ越後コラム)

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